良い色ですねえ。昔されていた”人着”を思いだしました。
写真がディジタルになって、なんでも簡単にできるようになって実は表現の幅が狭くなっているんではと思うことがあります。なんでもできうるということは、イメージがないとなんにもできないんではないか。
なるほどね。写そうとしなかったものが、写ってしまった、土門拳ふうにいうと鬼が手伝った写真みたいなところがありましたわね、撮影者の意図を超えて被写体にひきづられるようにして結果よかった、みたいなダイナミックなところが魅力であったんですがね。先日、京都駅でロベール・ドアノーの写真展を見ました。たぶん昔展示しておいて置いたのをそのままもってきたような、モノクロ印画の展示でした。昔ながらの写真を 見たような気がしました。キャパのちょっとピンボケの時代の写真てなんか魅力的でありませんか?
良い色ですねえ。
返信削除昔されていた”人着”を思いだしました。
写真がディジタルになって、なんでも簡単にできるようになって実は表現の幅が狭くなっているんではと思うことがあります。
返信削除なんでもできうるということは、イメージがないとなんにもできないんではないか。
なるほどね。
返信削除写そうとしなかったものが、
写ってしまった、土門拳ふうにいうと
鬼が手伝った写真みたいなところがありましたわね、
撮影者の意図を超えて被写体にひきづられるように
して結果よかった、みたいなダイナミックなところが
魅力であったんですがね。
先日、京都駅でロベール・ドアノーの写真展を見ました。
たぶん昔展示しておいて置いたのをそのままもってきたような、モノクロ印画の展示でした。
昔ながらの写真を 見たような気がしました。
キャパのちょっとピンボケの時代の写真てなんか魅力的でありませんか?