今日は神奈川あたりを散策。JR東神奈川駅を降りて海の方へ向かい、大きな道を歩道橋で横断する。この道は国道15号線、東京と横浜を結ぶ国道のひとつで、毎年お正月には箱根駅伝の選手が走る道でもある。この写真は歩道橋より東京方面を望んだものだ。
国道15号線を越えると急に鄙びた風景となる。すぐ先には埋め立て地と運河が広がる。このまま真っ直ぐに行くと米軍の施設がある瑞穂ふ頭だ。今日は運河に架かる最初の橋・村雨橋の手前を右に曲がり運河沿いを進む。
運河にはプレジャーボートがたくさん係留されている。運河の前は道路を挟んですぐ住宅が並ぶ。まさにウォーターフロントだ。奥の方に見える高層ビルはポートサイド地区にある「ザ・ヨコハマタワーズ」。
一本裏手の路地に入ると神奈川荘、大蔵荘、大平荘と看板の出ている簡易宿泊所があるが、人通りもなくひっそりしている。
運河の終点。JR貨物の東高島駅と工場の敷地の向こう、コットンハーバーのマンション群が見える。このまま真っ直ぐ続く道路を歩いていくと住宅街になる。
住宅街を縫って歩いていると突然「神奈川台場跡」なる石碑が現れた。
安政六年(1859年)五月、幕府は伊予松山藩に命じ、勝海舟の設計で構築した。
当時の台場は総面積二万六千余平方メートル(約8,000坪)の海に突き出た扇形で、約七万両の費用と工期約一年を要し、萬延元年(1860年)六月竣工した。
明治三十二年二月廃止されるまで礼砲用として使われたが、大正十年頃から埋め立てられ、現在では石垣の一部を残すのみとなった。
と案内板に書かれている。写真の石垣がそのなごりのようだが、石垣の向こうは東高島駅の敷地、石垣の手前側は住宅地となっていて、かなり寂しい状態だ。
さらにしばらく住宅街を進むと幅10メートルほどの水路に出合う。これは運河ではなく、片倉や三ツ沢の辺りを水源とする滝の川という河川だ。ただし、JR線の線路より上流はほとんど暗渠化されている。
横浜市中央卸売市場に通じる大きな道を渡ると、ポートサイド地区に近くなる。ポートサイド地区の手前にはこのような‘バラック’と呼びたくなるような家が並んでいる。
同じ場所で振り返ってみた風景がこの写真。ここから先はポートサイド地区なのである。
この辺りの建物はほどんどがマンションだが、低層部には店舗も入っている。しかし日曜日だというのに閑散としている。
ポートサイド地区の中ほどにある旧YCAT(横浜シティ・エア・ターミナル)。1979年に羽田国際空港や成田国際空港へのリムジンバスと一部高速バスのターミナルとしてオープンしたが、1996年に横浜駅前のスカイビルに移転。その後放置されたままのようだ。
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